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   五足の靴文学碑

  中洲川丈旅館の玄関横に「五足の靴」文学碑がある。明治40年(1907)、若き詩人の一行が九州旅行に旅立つ。「東京新詩社」を設立し、雑誌「明星」を創刊した与謝野鉄幹(34歳)を筆頭に東大と早稲田から各二名の学生が加わった五名の若者達で平野万里(東大23歳)、木下杢太郎(もくたろう)(東大22歳)、北原白秋(早大22歳)、吉井勇(早大21歳)である。鉄幹氏以外は22―23歳の青年であった。厳島、赤間関から7月31日に博多入り、船で博多に廻り、川丈旅館の二階を宿した。翌日は千代の松原、東公園、名島、博多湾を周遊し白秋の郷里柳川へ向かったという。当時の「福岡日日新聞」8月2日付記事に一行の記事・写真が残っている。この旅のことは紀行文「五足の靴」に綴られている。博多を回想した吉井勇氏の歌碑が碑の上部に残っている。
  旅籠屋(はたごや)の名を川丈(かわじょう)といひしことふとおもひ出てむかし恋しむ