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   博多の三名器

  博多豪商三傑は財力の傍らで、共通して名器を持っていた。神屋宗湛氏の「博多文琳(ぶんりん)」、島井宗室氏の「楢柴(ならしば)」そして大賀宗九の茶入れ「若草文琳」である。神屋宗湛氏の「博多文琳」は唐物茶入れの最高級品で、秀吉公も家康公も長政公、も所望したが、宗湛氏は笑ってこれを拒み続けた。しかし三代藩主忠之公時代に長政公の遺言が生き返り、三代藩主忠之公に有償召し上げとなる。それは、長政公遺言は「代償は黄金千両と那珂郡住吉村のうち500石の土地を与える。」だったが、忠之公はさらに黄金千両を積みした二千両を与えた。この茶器は昭和53年(1978)に黒田家がら寄贈され、現在は福岡市博物館に収蔵されている。島井宗室氏の名器、楢柴も大友宗麟公や秋月種茂公らの執拗なら略取をしのいだが、最後は秀吉公から家康公に渡った。大賀家の若草文琳は、はじめ京都南禅寺、崇光和尚の所蔵で、後に京都山脇家に伝わる。山脇家が衰退し、文琳は彫工・後藤程乗の手に渡った。