129<< 128 >>127

   袖の湊の神社跡

  明治通り呉服町交差点の少し東中洲寄りに渡邉藤吉本店ビルがあり、その玄関横に碑があります。この周辺はかっつて袖の湊があった入江という。入り江の跡が陸地化して池で残り、岸に柳があった由来から「楊(やなぎ)ヶ池」となり、さらに訛って「やながいけ」と呼ぶようになりました。柳の木を神木扱いし、「少彦名命(すくなひこなのみこと)」を祀る小さな祠ができた。医師・安井円庵が神託により宝暦6年(1756)に少彦名命を祀ったものだった。安井園庵氏が信奉しここを「楊ヶ神社」として崇めた。境内に恵比寿・大黒・稲荷を祀った。 さらに、楊ヶ池の楊の文字は、普通にいう柳の枝は下に垂れて風に流れる風情があるが、楊ヶ池の楊は「やなぎ科の落葉低木で多く水辺に生じ、枝は垂れない。」食後に用いる「つまようじ」は「楊枝」と書くが、元祖を楊の木であったようです。