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   「博多電灯」と「博多電気軌道」

 福岡市は1890年代に入ると電気事業が始まりました。福岡市の電気事業は1889年(明治22)に品川電灯社長の岩下青周氏が地元の有力者に勧誘しています。勧誘に応じて、鋳物商磯野七平氏と油商太田清蔵氏らが起業にむけた調査を始めました。1894年(明治27)5月6日に「博多電灯株式会社」が設立しました。資本金5万円、社長は磯野七平氏が就任しました。その他役員には太田清蔵氏が名を連ねています。その後1911年(明治44)に福岡市内でチンチン電車(路面電車)を運転する福博電気軌道と合併して博多電灯軌道と改称し、佐賀県の九州電気と合併して九州電気軌道となりました。会社設立ともに市内の東中洲において発電所の建設に着手し、九州で3番目の電気供給事業である。明治39年、博多電灯需要供給は2千戸、灯数8千灯でありました。電源の東中洲発電所は増設が重ねられていたが、敷地問題で増設が不可能となっていました。これが名島火力発電所の開設祖となりました。


名島火力発電所