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   続続福岡藩精錬所

 磯野家は1587年(天正15)、博多町の再興以来、続いてきた土居町の鋳造業者で当主は代々七兵衛または七平を襲名しています。11代磯野七平氏は15歳にして家業を継ぎ、1894年(明治27)、博多電灯株式会社を設立し、会長に就任して今日の九州電力株式会社の基礎を築き、その前年には第二代福岡市長に就任。博多築港、博多湾鉄道を計画するなど福岡市発展の基礎を築いた人物です。また、磯野鋳造所と遅れて創業した深見鋳造所が作り出した鍬、鋤などの刃先は硬い土壌にも適しており、この農器は博多鋳物として名を挙げました。磯野、深見両鋳造所は農機具だけでなく、銅像や梵鐘など多くの鋳物を製作しています。東公園の日蓮上人銅像の台座の鋳物レリーフ、宮地嶽神社の手水鉢や天水鉢などに深見鋳造所の名が見えます。一方、1944年(昭和19)7月、軍命令で徴収されて今は台座だけが残る称名寺の座高約6メートルの全国第三位の高さを誇った「博多大仏」が磯野鋳造所によって製作されています。