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   筥崎宮の成り立ち

  筥崎宮は、神名帳に記載される式内社(しきないしゃ)で、大分県の宇佐八幡宮、京都府の石清水八幡宮とともに「日本三大八幡宮」に数えられる。延長元年(923)の創建だがまったく新しい宮を創ったのではなく、筑前国穂波(ほなみ)郡の大分宮(だいぶぐう)が現在地に移されて、新に開業した。大分宮は、宇佐と太宰府を結ぶ官道沿い、遠賀川支流の大分川に沿ったところにありました。現在の筥崎宮は、近くを流れる宇美川が多々良川に注ぎ込んだ河口の絶好の船溜まりの地に建ち、博多湾と多々良潟を分ける洲崎(すさき)の根元でもある。延長元年の筥崎宮の造営は、石清水八幡宮と宇佐弥勒寺の主導で行われているが、それに関与して大宰少弐ら大宰府官人の活動もありました。ゆえに筥崎宮は石清水八幡宮と宇佐弥勒寺が海外交易を行うための拠点として、現在地に進出したことになる。かつ当時の寺社や大宰府役人が持っていた、たくましいまでの対外貿易志向でした。