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   福岡六丁筋

  福岡六丁筋は現在の昭和通りで、博多から中島西の橋を渡って福岡の入り口である枡形門の北門を抜け、簀子(すのこ)町、大工町、本町、呉服町、上名島町、中名島町の六町を抜ける道筋、福岡のメインストリートとして整備されました。名島町は名島の商人を連れてきた町です。中名島町は中ノ番と言い、この六丁筋は商人の町でした。大工町のところに、現在の岩田屋の前身の呉服商岩田屋がありました。享保10年(1725)には昭和通りから大名・天神・今泉・薬院に至る福岡市のど真ん中が焼ける大火が起きました。藩は景観整備に関する御触れをだしました。福岡六丁筋の町家が見苦しいので、新規の家作をする場合は瓦葺と白壁にするように、新築には間数一間につき銀二百目、改築は間数一間につき銀百目を無利子・五年賦で貸し出す。が、今後、博多津中での呉服商売は禁じるので、六丁筋に呉服所の出店を願い出よというものでした。