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   7歳の「おんな城主」

  福岡市と福岡県新宮、久山町を画する立花山(標高367m)こそ、豊後の戦国大名・大友氏の筑前支配の要で、天正3年(1575)、わずか7歳の「おんな城主」が誕生した立花城の古跡である。彼女の名前は誾千代(ぎんちよ)。大友氏の重臣・戸次道雪(べっきどうせつ)の一人娘で同年、父から立花城督(責任者)を相続。 6年後、立花宗茂を婿に迎えるまでその任にあった。立花家史料館には、道雪公が誾千代に宛てた〈御城督幷(なら)に御城領等〉の譲状とこれを主君の大友宗麟・義統(よしむね)父子が認めた書状が伝わる。道雪公は大友随一の猛将にして忠臣だ。毛利元就の軍勢と合戦を重ね、ついに毛利氏から立花城を奪回し、元亀2年(1571)に城督に任じられていた。 63歳となった道雪公の後継者としては、当初実家の戸次から養子を迎えることが検討されたことを示す文書が残っているが、この話は流れ、誾千代の相続が決まる。