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   多々良浜の戦い

  多々良川流域は幾度か戦乱に見舞われました。なかでも規模の大きかったものが、建武3年(1336)と永禄12年(1569)の二度の「多々良浜の戦い」です。
  前者は、京都から九州に落ち延びてきた足利尊氏方と菊池武敏を中心とする建武政権方との戦いです。この戦いに勝利を収めたのは足利勢でした。その後尊氏は再び上洛して室町幕府を開くに至ります。後者は、大友氏と毛利氏による合戦で、北部九州の覇権をめぐって争ってきた両者が多々良川を挟んで相まみえたものです。この戦いは永禄12年の4月から11月までの長期間に及び、大友氏と毛利氏の最後の大規模な衝突となりました。戦闘が長期化するなか大友氏は一計を案じ、大内輝弘氏を毛利領国に送り込んで反乱を起こす。毛利氏はこの反乱の鎮圧のために九州から撤退せざるを得なくなり、結果九州への足がかりを失うことになりました。大友氏が支配体制を築くことになりました。