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   初代福岡県知事

  明治2年(1869)福岡藩は藩主黒田長溥公が退き、長知公が12代を襲封して、6月藩知事に任命されたが、深刻な財政危機に直面し、戊辰戦争の戦費が重圧となっていた。明治4年の段階で負債総額は258万円にのぼった。 その打開策を紙幣贋造りに求め、福岡藩の贋札事件が発生した。その頃は、他藩等もやっていたにも拘らず、福岡藩だけが糾弾され、旧大参事(家老職)立花増美外四名は斬刑、従四位黒田長知も知事を罷免の上閉門を命ぜられて一件落着した。
  しかし政府は後任知事の人選に苦慮、急遽、二品(ほん)有栖川宮熾仁親王を新知事に任命、急場をしのいだ。当時37歳であった熾仁親王は直ちに7月下名島町会所の旧藩庁に着任、9月福岡城内に移って本格的に県政に専念、事件の解決に努めた結果、福岡藩は全国に先駆け廃藩置県が実質的に施行され福岡県と改称、初代知事は有栖川宮を以て始まると公式文書に記載され、以来二代目も踏襲された。


有栖川宮熾仁親王