■ 和白干潟の海苔養殖 ■
  博多湾の海苔養殖は明治中期から始まり湾内の各所で行われるようになりました。その後一時中断したものの、昭和になって再開され、和白干潟や志賀島においても生産が始まりました。

  戦後は海苔を網に付ける網篊(あみひび)が導入され、養殖技術の向上と共に急成長を遂げました。収穫した生海苔は細かく切った後、洗浄・抄(す)き・脱水・乾燥の工程を経て「博多湾海苔」の封紙を巻いて全国に出荷されました。全盛期には福岡市の漁業生産高の約5割を博多湾内で営まれる海苔養殖が占めていたそうです。しかし昭和57年(1982年)から始まった博多港の港湾整備に伴い、和白干潟の海苔養殖漁業は終焉をむかえました。

  今、和白干潟を歩いてもその面影を知ることはできませんが、和白公民館に隣接する和白郷土資料室の漁具の棚では生海苔を抄くのに使った簀子(すのこ)や封紙などに触れることができます。資料館では昔の農機具や生活道具なども展示されていますので地域産業の変遷を学ぶことができます。

  資料室の見学は和白公民館(☎092-606-3001)[10時~16時]にお問い合わせください。
昭和30年ごろの網篊(あみひび)立ての風景

海苔封紙 (和白郷土資料室に展示)

海苔を抄く簀子 (和白郷土資料室に展示)

 塩浜のカネンテ付近の干潟には数多くの篊立てが見られます
1956年(昭和31年)頃の航空写真


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