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   岩田屋の創業

 博多の川端にあった呉服商紅屋九兵衛の店で奉公した後、福岡の大工町にあった薬種商「畳屋」を営んでいた小衛門の小右衛門の養子となって引継いでいた中牟田小右衛門が、同じ福岡の本町にあった呉服商岩田屋平七から岩田屋の屋号と呉服商鑑札を譲り受けて薬種商から転業し、福岡で岩田屋呉服店を開いたのが始まりです。明治維新後、1877年(明治10)に隣接する商人の町博多の麹町に支店を出して進出した。この博多支店は、1903年(明治36)に初代中牟田喜兵衛が博多支店で従来の掛け売り止めて正札販売に切り替えるなど近代化を進め、売上高博多でトップの呉服店へと成長した。初代中牟田喜兵衛は、いろんな経験から大衆向けの販売を行うにはある程度の規模を持つ百貨店としての営業が不可欠と考えて、その出店用地を探すこととした。候補地として、博多財界の有力者だった東邦生命保険社長太田清蔵(四代目)より申し出があった。その後に電力王と呼ばれた松永安左エ門氏から勧められた九州鉄道(2代)の天神福岡駅周辺が有力であった。