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   博多商人

  『国史大辞典』には「筑前国博多津を根拠地して、主として室町・戦国時代から近世初頭にかけて活躍した貿易商人をいう。」との解説がある。16世紀半ば、西欧の東漸(とうぜん)運動はキリシタン時代の博多の文化を支えたのは大友氏であった。このころから、博多商人の代表格として活躍するのが、島井氏や神屋氏であるのだが、江戸時代はじめ、東アジアの海域を縦横に飛び回り、福岡藩主黒田家の御用商人として巨万の富を築きながら、幕府の禁を破って処刑された「伊藤小左衛門(二代)」という博多商人である。 初代の小左衛門氏は筑前木屋瀬の出身と考えられ、商都博多に出て商才を発揮し、基礎を築く。後を継いだのが、波乱の生涯を送る二代の小左衛門氏だ。正保4年(1647)、幕府から長崎警備を任されていた福岡藩が、ポルトガル艦来航で危機に立たされたことがある。そのさい、大量の焼草を調達するなど尽力した博多商人の小左衛門氏と大賀宗伯氏に、藩主黒田忠之公は商人として破格の50人扶持を与えた。これが、小左衛門氏飛躍の契機となり、福岡・博多町人社会における地位を不動のものにする。