127<< 126 >>125

   続博多八景(近世)

  明和2年(1765)成立の『石城志』では、「博多八景」は①「濡衣夜雨」(ぬれぎぬやう)②「箱崎晴嵐」(はこざきせいらん)③「分杉若杉秋月」(わけすぎしゅうげつ)④「奈多落雁」(なたらくがん)⑤「博多帰帆」(はかたきはん)⑥「横岳晩鐘」(よこたけばんしょう)⑦「竈山暮雪」(かまどやまぼせつ)⓼「名島夕照」(なじませきしょう)のようになっています。禅僧鉄庵道生の「博多八景」とは場所も景色もずいぶん異っています。和杉山や竈山のように太宰府周辺の山々をも取り入れ、江戸時代の「博多八景」の世界は空間的に広がっています。種々の「博多八景」と題した漢詩や絵画がつくられ、江戸時代には「博多八景」の世界は人々に広く普及していったように思われます。さらに僧鉄庵道生に詠まれた「浦山秋晩」(うらやましゅうばん)が、古くは鷲尾山とも、浦山とも言われていた愛宕山の秋の夕暮れを詠ったものです。