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   粕屋貫く古代道

 粕屋郡一帯を統治した「糟屋評(かすやのこおり)」の役所跡とみられる遺構跡が見つかり、粕屋官衙(かんが)遺跡・阿恵遺跡。遺跡近くには、太宰府と奈良を結ぶ古代官道「大路(おおろ)」が通つていました。 阿恵遺跡から北東に約1キロ。内橋坪見遺跡があります。遺跡からは約1メートル四方の大型の柱穴や瓦が出土しています。今は大路に約16キロごとに設けられている駅家(うまや)跡とみています。駅家とは、中央政権の指示で造られた①瓦ぶき②赤い柱③白壁が条件の「国営VIP専用ホテル」。馬が常駐しており、往来する人々は駅家ごとに馬を乗り換えていました。遺構は駅家の一部と推定された。粕屋郡にあった「夷守(ひなもり)駅」の可能性が高いです。大路は最もランクの高い道で、ほかにも中路、小路などもあった粕屋郡を通っていた大路は、太宰府から門司を通り奈良まで結んでいた。さらに、公務での出張や公文書の伝送などのために往来した役人もいた。当時は、祖(穀物)、庸(労働)、調(土地の産物)と3種類の徴税がありました。