奈多の地蔵堂の隣に「鯨学校跡地」の石碑が、建立されています。御影石の表面には大きく「鯨学校跡地」の文字と当時の福岡県からの表彰状が刻まれています。また裏面にはその由来が説明されています。
  由来に依りますと、奈多小学校(現在の和白小学校)は、明治6(1873)年に創立されましたが校舎は無く寺の本堂を借りて授業が行われていました。 しかし傷みがひどくなり新校舎建設の話が高まってきましたが、資金不足で難航していました。 そんな時、明治14(1881)年奈多の沖にクジラが現れ、近海の漁師たちが苦労の末捕獲しました。そのクジラの肉を売って出た利益の大半を新校舎建設にと当時として大金の470円が寄付されたそうです。 これにより新校舎が建設され、地元では永く「くじら学校」と呼ばれていました。

  この善意を後世に伝えたいとのことで、奈多自治会により令和2(2020)年12月6日に石碑の除幕式が行われました。

 
石碑の住所: 東区奈多2丁目3-26


 
奈多の地蔵堂(右側)の隣に「鯨学校跡地」の石碑が建立されました
 
 石碑の表面
 
 石碑の裏面
 
 明治14年の470円は現在の貨幣価値にすればいくら?
   明治13年の大卒の銀行員の初任給が8円とあるので現在が20万円とすると2万5千倍位になります。
   明治時代の470円は現在の1100万~1200万円の金額に値すると思われます。
               ※あくまで個人の試算です。比較する物価の指針が違うので参考まで。


 紀州太地浦鯨大漁之図


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