航空写真で見る三苫の移り変わり
福岡市東区三苫の場所はここです 


三苫地区の変遷
 
 

USA



1949年
 [昭和24年]
 
戦後米軍が撮った航空写真、駅周辺は田畑が広がっています。美和台の造成も始まっていません。赤岩も大きく写っています。

 左地図+現在の地図マーク

国土地理院


1974年
 [昭和49年]

イチゴの栽培が全盛期でビニールハウスが見られます。夜間ビニールハウスの電照が幻想的でした。
美和台の造成が進んでいます。

 

国土地理院



1998年
 [平成10年]

田畑は少なくなり住宅が密集しています。三苫小学校も平成8年に開校しました。小学校周辺の造成が始まっています。
三苫公民館(平成11年)や福岡銀行美和台支店(駅前より移転)はまだ建っていません。

三苫校区の人口
 2,895世帯
 7,667人
  (平成10年現在)

Google


2018年
 [平成30年]



三苫校区の人口
 3,944世帯
 9,252人
  (平成29年現在)

西鉄三苫駅

1967年(昭和42年)~1972年(昭和47年)の地図
美和台(右側)がまだ造成されていない頃の三苫駅、当時のホームは今より100m程和白駅側にあったようです、今のスロープの下あたりです。  左の写真当時の三苫駅周辺の地図、美和台の造成工事は1969年(昭和44年)頃から始まりました。 



地図で知る昔の三苫 

三苫水道


地質分布図

拡大地図


 




 三苫水道について

 新宮側と博多湾側は太古の昔はつながっていたとの説があります。三苫地区は4000年前より10m位隆起したとのことです。現在の地図を10m沈めて加工しました。三苫水道が見えてきましたか?



 またこの地区の地質分布からも三苫水道が見えてきます。


拡大地図





 江戸時代の地図


拡大地図





 明治時代の地図
 明治37年


拡大地図





 福岡県筑前国糟屋郡
 三苫村全図 明治21年


 古地図と現在の地図を重ねてみました


拡大地図

 
1949年(昭和24年)頃の三苫地区の航空写真に位置関係がわかるように現在の道路や建物を重ねてみました。



三苫公民館発行
拡大します(PDF)



郷土の資料
  ふる里のむかし"わじろ"和白郷土史研究会(2006)
PDF 4.4MB P1~P234
 本文 目次  
 第1章 上和白村の歴史   P1~P58
 第2章 下和白村の歴史  P59~P78
  第3章 塩浜村の歴史  P79~P116
 第4章 三苫村の歴史  P117~P158
 第5章 奈多村の歴史  P159~P202
 資 料 編  P203~P234


もっと知る資料 ( ..)φメモメモ
           ・ 歴史ガイドマップ[和白地区]
           ・ 和白郷土資料室のごあんない


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